リッチライフ

マンションの進化形とはなにか

分譲マンションの変遷編集:リッチライフコンペ事務局

リッチライフデザインコンペ事務局では、今回テーマの「マンションの進化形」を考えていただくにあたって、分譲マンションの変遷を編集いたしました。
2014年以降のことを30年単位で想像するための足掛かりとしてご参考ください。

このページでは、集合住宅全般ではなく、主に分譲マンションの変遷を扱っています。
下のグラフ(図1)は、昭和30年(1955年)からのGDP成長率のグラフです。

一般に、このグラフのように、

というように、3段階に分けて成長率が下がってきたと分析されています。

今回の分譲マンションの変遷も、全期間をこの3段階に分けて、考察しました。
都市化の進行、地価の上昇、下落、人工地盤の必要性、家族形態の変容などマンションの成立要件を総合的に
表現している指標の一つが、GDP成長率と考えたからです。
過去の年代の補助線とお考えください。

なお、公営の集合住宅や賃貸マンションなど広義の集合住宅の変遷については、以下のHP(集合住宅博物館)をご参考ください。
http://www.housing-museum.com/japan20year.htm

図1 名目GDP成長率の推移

高度成長期 分譲マンションの黎明

1955年~オイルショック1973年まで

出来事 年代 分譲マンションの変遷史
  1953年

「宮益坂アパート」完成 (東京都建設局 日本初の分譲集合住宅)
http://blogs.yahoo.co.jp/aromanonnon/38913314.html

四谷コーポラス

宮益坂アパート

  1953年

「四谷コーポラス」分譲(日本初の民間分譲マンション)/現存

  1957年

「東急スカイライン」(日本初の高層譲マンション)

東急スカイライン

1958年 晴海高層アパート(前川國男)を舞台にした映画「しとやかな獣」(若尾文子主演)
マンション生活は、西洋的でリッチな、あこがれの対象として描かれている。

「建物の区分所有に関する法律」1962 1962年

第一次マンションブーム1963-1964

1962年にマンションの基本法である「建物の区分所有等に関する法律」が制定されました。
またマンションの法的位置づけも明確になり、住宅ローンを利用した購入も可能となりました。
1964年に開かれた東京オリンピックが景気刺激となってマンション開発が進んでいきました。
団地型分譲住宅(住宅公団)

東京オリンピック 1964年

都心高級マンション

  1965年
ヴィラ・ヴィアンカ(原宿)
これ以後ヴィラシリーズ
コープ オリンピア(原宿)
近代的で高級なマンションイメージの定着
メタボリズムの表現
クオリティーは現在でも通用している。
   

ヴィラ ヴィアンカ

コープ オリンピア

  1965年

高級マンション「ホーマットシリーズ」第1号の「ホーマットインペリアル」完成

ホーマットシリーズ 都心一等地にシリーズ化された 

   

第二次マンションブーム1968-1969

この頃からマンションは大衆化路線をとるようになります。高額所得者向けの高級マンションだけでは供給は拡大しませんから当然の選択であったと言えるで しょう。この頃は杉並区荻窪や埼玉県川口市など都心近郊の立地に一戸あたり400万円から600万円程度で50㎡(2LDK)前後の物件が多く供給されま した。短期間ではありますが、3年間の住宅ローン付きというマンションが供給され始めたのもこの時期です。住宅金融公庫の融資制度が始まるのが1970年 からですから、この住宅ロ-ン付き分譲は好評でした。

坂出人工土地(香川県、坂出市)
1968年~

西荻フラワーマンション
1965年

秀和外苑レジデンス
1967年

住吉団地(住宅公団)
1968年

大島町団地(住宅公団)
1969年

日本万国博覧会
(EXPO 70)

1970年

住宅金融公庫 マンション購入資金融資制度設置 1970

第三次マンションブーム1970~1973

1970年からスタートした住宅金融公庫の制度を活用した「公庫融資付き分譲マンション」の供給拡大 もあり、1973年には全国の分譲戸数が15万戸を超えるブームとなりました。
この時期の代表的なマンションは住宅都市整備公団が開発を始めた"多摩ニュータウン"エリアでの物件です。住宅ローン付きで低額でマンションが購入できるニュータウンが各地に開発されていったのもこの頃からでした。
この時代のマンションは西洋式の間取りを取り入れたマンションが増え、居間や寝室、食堂など一つの部屋に一つの機能を持たせるのが流行しました。また、耐震基準(旧耐震)が導入され、防音性能も高まっていきました。

第一次
オイルショック
1973年  
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相対的安定期 オイルショック後の交易条件の劣化と成長の維持

1973年オイルショック~バブル崩壊1991年まで

出来事 年代 分譲マンションの変遷史
第一次
オイルショック
1973年

三田砂町パークマンション(最初の高級、高層分譲マンション 三井不動産)

南砂団地(住宅供給公社)

三田綱町パークマンション

モデル団地分譲住宅建設
・購入資金制度設置
(公庫融資付き)

世界の先進国各国のGDP成長率は、交易条件の悪化(石油価格の正常化)によって、もっと落ち込んでいる。
日本はむしろ、列島改造論による国土開発、融資制度の充実によるマンション、戸建て需要促進などの内需刺激策で、安定成長率を維持したとされている。

1975年

与野ハウス(日本初の超高層マンション、住友不動産)
千葉ガーデンタウン(郊外型、大衆系マンション)

与野ハウス(住友不動産)

千葉ガーデンタウン(三井不動産)

ロッキード事件 1976年

第四次マンションブーム1977-1979

オイルショックによる不況から脱しつつあったこの時期は、東京への通勤圏として神奈川県、埼玉県、千葉県の東京都隣接エリアでのマンション供給が盛んに行 われるようになりました。「第二次オイルショック」という逆風の中で、職住近接をうたったマンションが増加し、戸建よりも利便性に優れているという点が評 価され始めました。マンションがようやく一般化し、民間ディベロッパーの大型開発が増加したのもこの頃です。
この時期の代表的なマンションは東京都港区の「シャンボール三田」(売主:大蔵屋)、東京都板橋区「サンシティ」(売主:三井不動産、旭化成)などで、都 心近郊の東京まで30分圏内に大型開発が盛んに行われました。この頃の東京都の平均分譲価格は2,000万円を超えています。(1978年:2,021万 円、1979年:2,362万円) この時代のマンションは広い敷地面積を活用してコミュニティ設備や公園、緑地の設置が行なわれ、生活の余暇部分にも配慮がなされるようになりました。

サンシティー東京、
板橋区中台の分譲マンション群

シャンボール三田

不動産バブル

1980年

ペアシティー・ルネッサンス高輪 (高次元セキュリティー高級マンション/億ション)

  1982年

広尾ガーデンヒルズ (都心大規模高級分譲)

広尾ガーデンヒルズ

ペアシティールネッサンス高輪

  1983年

第五次マンションブーム1983-1986

この時期はいわゆるバブル経済のピークに向かって地価が高騰し、都心では10億円を超えるような超高額物件が供給されるようになって、一次取得者向けの ファミリーマンションは郊外に展開されていました。また投資用のワンルームマンションも一大ブームとなりました。地価高騰によるキャピタルゲインを得た土 地長者が納税額ランキングの上位を占める時代でした。都内では高額物件専門のディベロッパーが登場するほどマンション価格は日を追うごとに上昇しました が、反対に割安感があった住宅都市整備公団の物件にも人気が集まり、なかでも「光が丘ニュータウン」は抽選倍率が6000倍を超える人気物件となりまし た。またマンションの超高層化が進んだのもこの時期からで、30階を超えるマンションが供給されて話題となりました。
この時期の代表的なマンションは、いまや高級物件の代名詞となった東京都渋谷区の「広尾ガーデンヒルズ」(売主:住友不動産、三井不動産、三菱地所、第一 生命)があります。高級・高額物件は多数分譲されましたが、なかでも17億9,500万円の住戸が分譲された東京都港区の「ドムス高輪」(売主:ドムス) のような超高額物件が不動産バブルを象徴しています。
この時代のマンションは都心における高額化、ファミリーマンションの郊外化という傾向が顕著ですが、マンションスペックではいわゆる「バブル仕様」とわれる高性能化が進んでいることも見逃せません。

国鉄分割民営化 1987年

ドムス高輪(バブル期の超高額マンション)
大川端 リバーシティー 開発 着手

ドムス高輪

大川端リバーシティー

不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える
(総量規制)

不動産バブル崩壊

1990年
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低成長期 バブル崩壊後、生産年齢人口減少、→供給過多、少子高齢化、格差社会etc.

1973年オイルショック~バブル崩壊1991年まで

出来事 年代 分譲マンションの変遷史

不動産バブル崩壊

週休二日制導入
男女雇用機会均等(改正)

モデル団地分譲住宅建設
・購入資金制度設置
(公庫融資付き)

1991年

1994年

第六次マンションブーム1994-2002

この時期はバブル経済崩壊後、地価が長期にわたって下落する中で地価が下がった東京都内に一次取得者向けマンションが戻る「都心回帰現象」が発生しまし た。交通利便性の良いエリアにバブル期からすると半額程度のマンションが分譲されるようになったため、マンション需要は一気に拡大し、首都圏の新築マン ション分譲が8万戸を超える空前の大量供給が8年にわたって続きました。バブルによる地価高騰の影響で郊外に拡散していたマンションが、都心に近いエリア で安く購入できるということと、住宅金融公庫の融資額の拡大や、低金利政策の実施でローン金利が2%程度に下がるなど好条件が重なり、賃貸物件の居住者が こぞってマンションを購入したのです。
この時期の代表的なマンションは都心回帰が極まったといえる人気物件、東京都中央区の「銀座タワー」(売主:三菱地所・定期借地権物件)、当時の最高階数 55階を誇った埼玉県川口市の「ライオンズスクエアエルザタワー55」(売主:大京)、湾岸タワー物件の代表格である「東京ツインパークス」(売主:三菱 地所)、都心一等地の超高級マンション「ザ・ハウス南麻布」(売主:野村不動産)などで、多様化したニーズを反映して様々な価格帯の物件が供給されました。
この頃のマンションは大規模化、超高層化が際立っていますが、高機能化(システムキッチン、断熱性能など)、高付加価値化(コンシェルジェ、共用施設など)、高安全化(防犯性能、耐震性能など)が特徴です。

建築基準法改正
廊下、階段、エレベーターホール、バルコニーなどは容積率算出上の延床面積に算入されなくなる。

都市計画法改正
容積率が緩和され、タワーマンションが建てやすくなる。

1997年

不動産バブル

1992年

タワーマンションの林立

恵比寿ガーデンテラス

西新宿パークサイドタワー

ライオンズスクエア
エルザタワー 55
(川口市)

代官山 アドレス
ザ・タワー

ツインパークス

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